- 明智光秀が本能寺で謀反し、織田信長と嫡男・信秀を討ち取る
- 本能寺の変後、山崎(天王山)の戦いで羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に明智光秀が敗れる
- 豊臣秀吉が天下統一する
本能寺の変で明智光秀が織田信長を討ち取った後、豊臣秀吉に敗北した三日天下は有名です。
山崎の戦いは天王山の戦いとも呼ばれ、現代でも勝負所を意味する「天王山」の由来ともなるくらいの重要ポイント。
では、もしも明智光秀が豊臣秀吉に勝利していたら?
歴史の大きなターニングポイントとなることが間違いないでしょう。
山崎の戦いで明智光秀が豊臣秀吉に勝利するために
状況は、明智光秀軍16000vs羽柴秀吉軍40000
しかも、羽柴秀吉軍は優秀な家臣団が揃っていて、野戦・攻城戦共に最強に近い戦力とも考えられます。
実際に、山崎・天王山の戦いは短時間で決し、秀吉軍の一方的な勝利となりました。
しかし、秀吉は徳川家康に小牧長久手の戦いで敗北しているので、無敵軍団というわけでもありません。
- 織田家臣・周辺勢力への根回し
- 天王山を取る
- 秀吉を罠にはめる
難度は高いですが、明智光秀の戦略次第では、勝利も不可能ではなかったことでしょう。
もしも明智光秀が豊臣秀吉に勝利していたら
もしも明智光秀が豊臣秀吉に勝利していたら、歴史は大きく変わります。
- 足利義昭を擁立して室町幕府再興?
- 四国は長宗我部元親が支配?
- 徳川家との関係は悪くない?
- 九州と関東征伐はしない?
明智光秀が畿内を掌握したとして、可能性が高いのは上記でしょうか。
秀吉のような拡大路線よりも、室町幕府再興を軸とした太平の世を目指したかもしれません。
意外と早くの天下統一となり、戦国時代は終焉に向かった可能性もあります。
徳川家康の江戸幕府は?
豊臣秀吉による天下統一がない場合、徳川家康による江戸幕府はどうなのでしょうか?
- 明智光秀と室町幕府の治世が問題なければ徳川家康は台頭しない
- 乱世が収まらないなら徳川家康が台頭して江戸幕府が開かれる
この2パターンが考えられます。
明智と足利家の室町幕府は乱世を収められない
明智光秀と足利家による室町幕府に乱世を収める力があるのか?
答えは非常に難しいですが、足利家に治世は難しく、個人的には乱世が続いていたと考えます。
山崎の戦いで秀吉を倒しても、残存勢力は毛利・島津・徳川・上杉・北条・伊達とまだまだ大きく、秀吉並みの敏腕を発揮しなければなりません。
徳川家康の台頭
乱世が続いた場合、台頭してくるのはやはり徳川家康。
北条家と結んだ徳川家康が甲信越を支配し、室町幕府を飲み込むのではないでしょうか。
そして新体制を敷き、徳川幕府を開きます。
関東が北条家支配のままであれば、江戸幕府ではなく三河幕府でしょうか?
徳川幕府が開かれれば、江戸本拠ではないものの、史実の江戸幕府のような260年体制となっていた可能性も低くないと考えます。
まとめ
- 本能寺の変後、秀吉に明智光秀が勝利していたとしても徳川の世となった可能性
- 豊臣政権を経なければ、各歴史(朝鮮出兵や異教徒弾圧)は変わっていた可能性
- 結局、徳川家康が強かった
徳川家康が力を持ってからでは、徳川幕府へと続く歴史は大きく変わらなかったかもしれません。
しかし、本能寺の変に伴う伊賀越えで家康が討ち取られていたら、歴史が大きく動いていたのかもしれませんね。