大坂の陣の史実
- 豊臣秀頼率いる浪人衆と徳川家康の戦い
- 1614年の「冬の陣」と1615年の「夏の陣」がある
- 真田幸村の真田丸も有名
- 徳川家康が勝利し、豊臣家は滅亡する
目次
もしも大坂の陣で徳川家康が負けていたら?
- 徳川家康が負けていたら豊臣家の権勢が巻き返される
- 石高が与えられる浪人衆も(真田・毛利・長宗我部など)
- 徳川家は秀忠が継いでいるので滅亡の可能性は低い
- 江戸幕府の勢いは削がれるものの大勢は変わらない
このように、徳川家康が負けていても、意外に大きなターニングポイントとはならない気がします。
徳川政権は秀忠が跡を継いでいる状況ですし、家康の生死で徳川家の滅亡とまではいかないでしょう。
ただ、豊臣家が滅びず、真田幸村を始めとした浪人衆が領地を持つと、後々の歴史が変わってくるはずです。
勝利した豊臣家
豊臣家がどこまで再興するかは秀頼次第ですが、正直なところ厳しい気がします。
豊臣家は人材不足が否めませんし、内部腐敗した組織形態も見え隠れしています。
徳川家による再戦、領地を持った浪人衆による反発など、豊臣家はそのまま没落してしまうのではないでしょうか。
石高が与えられる豊臣方の浪人衆
豊臣方についた主力浪人衆は褒賞として石高を与えられるかもしれません。
- 真田幸村
- 毛利勝永
- 長宗我部盛親
- 後藤又兵衛
領地を持てば、台頭する武将もいるでしょう。
すると、江戸時代における勢力図も変わってくるはずです。
長州・薩摩による明治維新よりも早く、尊王攘夷の機運が高まるかもしれません。
江戸幕府の支配体制も弱く、また乱世となる可能性まであったかもしれませんね。
まとめ
- 大阪の陣で徳川家が負けていても歴史は大きく変わらない
- 家康がいなくても秀忠が跡を継いでいるから
- 豊臣家と浪人衆は滅亡しない
- 石高次第では真田や長宗我部が優力藩となったかもしれない
大阪の陣の勝敗は、豊臣家にとっては滅亡の危機ですが、徳川家にとっては存続を左右するほどのものではありません。
しかし、没落・滅亡してしまった真田家や長宗我部家にとっては、非常に大きなターニングポイントです。
豊臣家がどこまで褒賞を出すかですが、江戸幕府でのパワーバランスが変わるほどの勢力とまでなったかもしれませんね。
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