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もしも関ヶ原の戦いで西軍・石田三成が東軍・徳川家康に勝利していたら

合戦
関ヶ原の戦いの史実
  • 豊臣秀頼の擁護を名目に、石田三成率いる西軍8万と、徳川家康率いる東軍9万が争った
  • 徳川家康が勝利し、石田三成は処刑された
  • 徳川家康がより台頭し、豊臣家は勢力を失い、大坂の陣で散った
  • 徳川家による江戸幕府が260年続いた

天下分け目と言われる戦いはいくつかありますが、最大規模の合戦が「関ヶ原の戦い」です。

その関ヶ原の勝者である徳川家康が天下を取りましたが、もしも石田三成が勝利していたら?

豊臣家の天下が続き、歴史が変わっていたことに間違いないありません。

そんな歴史のifを追ってみましょう。

目次

もしも関ヶ原の戦いで石田三成が勝っていたら?

  • 徳川家康の勢力は削がれた
  • 石田三成筆頭での豊臣家の天下が続いた
  • 大阪が首都になっていた?

もしも関ヶ原の戦いで石田三成が勝利していたら、歴史は意外とシンプルに運んだことが予想されます。

西日本が首都になった

戦国時代の城

関ヶ原で徳川家康を退けた場合、秀吉の築いた豊臣天下が続き、京都か大阪が首都となっていたことでしょう。

西日本が日本の中心となり、地政学も大きく変わっていたかもしれません。

ただ、秀頼が暗愚だった場合、早期に豊臣政権が転覆した可能性も残されています。

ここを五大老・五奉行がどこまで支えられるかがポイントとなりそうですね。

関ヶ原の戦いで石田三成が勝つためには?

戦国武将

関ヶ原の戦いで石田三成が勝つための方法も考えてみます。

  • 西軍全体をしっかりまとめる
  • 見せしめと褒賞の飴と鞭を使い分ける
  • 適材適所を見極める

人材と軍を上手く使えなかったのが三成の大きな敗因と考え、大胆なテコ入れをしなければ家康には勝てないでしょう。

実際に、戦力差はそこまででもないものの、大敗を喫してしまったのは人心掌握と采配です。

裏切りを出さないのは最低限で、適材適所の采配をしなければなりません。

その上で、清濁併せた謀略も駆使しなければ、百戦錬磨の家康に勝つことは難しいはずです。

しかし勝利が不可能なわけではありません。

仮に、黒田官兵衛が西軍の大将であり指揮官であったなら、西軍の勝利は難しくもなかったと予想します。

徳川家康を討ち取れるか?

負け戦

関ヶ原の戦いで勝利したとしても、徳川家康を討ち取ることまでは難しいかもしれません。

それくらいに、徳川軍しいては東軍戦力は盤石に感じます。

しかし、関ヶ原の戦いで石田三成が勝利していたなら、謀反人として処罰することは可能です。

切腹まで持ち込めないにしろ、大幅減封や移封で、徳川家の戦力を大きく削ることもできるでしょう。

もしくは、西日本・東日本の東西分断な乱世にまで巻き戻るのかも?

南北朝時代ならぬ東西朝時代まで言いすぎですかね。

いずれにしろ関ヶ原の戦いが歴史のターニングポイントだったことは間違いないでしょう。

まとめ

  • 関ヶ原の戦いで石田三成が勝つ難易度は高め
  • 石田三成が勝利していたら豊臣天下が続き、大阪が首都になった可能性も
  • 徳川家康の処断がキーポイント

まさに天下分け目の関ヶ原の戦いです。

惜しくも敗れた石田三成というわけでもなかったので、歴史を変える難度は高めですが、とても興味深いifのひとつですね。

徳川家康に関しては、少し何かが変わっていれば、現在の日本も違っていた可能性が高いというキーパーソンであり、重要すぎる歴史のifも盛りだくさんな面白さです。

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